ALPQUELL JAPAN

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野生のルイボスについて


  • 野生のルイボスが自生している原野にて

  • 世界で一番有名なロッククライミングの場所

1982年私は初めて南アフリカのルイボス農場を視察しました。ルイボスティーは、もともと南アフリカの原住民が不老長寿の飲み物、さまざまな病気に良いお茶として、昔から伝えてきたものです。その効用に着目したのが、自然植物学者のノーチェ博士であった。植物研究のため奥地を訪れ、原住民と交流する中からルイボスティーを知り、その効き目に注目した博士は、なぜ健康増進作用があるのか、どういった成分が含まれているのか、学術研究を、大学の医学、薬学の専門家に依頼した。それとともに、このお茶を持ち帰り、知人や、病気で困っている人に、ためしに飲んでもらった。結果は想像以上に劇的だった、体力がついた、疲れがすぐ抜けるようになった、肌がすべすべと美しくなった、アレルギーを抑える、腹痛、筋肉痛をとめる、と言った予期以上の効果を伝える声も少なくなかった。その反響の大きさに驚いたノーチェ博士は、それまで山野に自生する野生のお茶を採集するだけだったものを、人工栽培ができるように道を開いたのである。こうしてルイボスティーの効用がはじめて文明社会にもたらされた。1904年のことであった。その後、国立ステレンボッシュ大学、プレトリア大学などで、ルイボスティーの成分分析結果が発表された。それによって各種ミネラルを豊富に含み、きわめてバランスのいい栄養飲料であることが判明した。
私は南アフリカの担当者からその話を聴き、ルイボスティーには、何か未知の有効成分が隠されているのではないか?私のこのカンは、後にルイボスティーにSOD様作用が発見されることによって、奇しくもあたることになるのである。


  • 野生のルイボスは大変希少価値のある植物

  • ロベン島

私が訪れた頃の南アフリカは白人政権のデクラークさんが大統領の時代で、アパルトヘイトで有名な人種隔離政策が行われていた。マンデラさんはまだ刑務所に囚われ、現地の白人からはテーブルマウンテンから見えるロベン島を指差して、あそこに有名なマンデラさんが隔離されていると教えてくれた。日本でも映画、遠い夜明けが大ヒットして世界的に人種差別が大きな社会問題として注目されつつある時代でもあった。そんな時代背景の中、昔から現地人の健康茶として重要視されていたのがアスパラサス・リネアリス(学術名)通称ルイボスティーである。私が南アフリカを訪ねた頃はまだ日本との国交もなく日本はレアメタルその他鉱工業取引の多い貿易国として現地では名誉白人とよばれていた。私がルイボスの故郷クランウィリアムを訪問してから30年ルイボスティーの輸出は100トンから100倍の10000トンに大きく成長した。農作業に従事しているカラードといわれる人たちの働く場所に大きな光明を照らしている。ルイボスティーの医学的な研究は日本の学者によって世界に向けて発表され、それが大きな原動力になって現在のルイボス市場が形成されていると言っても過言ではない、ルイボスティーと抗酸化作用の研究発表です。日本でも思いっきりテレビ、ニュース番組その他、マスコミで多く取り上げられ健康茶として全国スーパー、生協などで販売されるようになりました。当初ルイボスを販売するに関して、目的を人々の健康に寄与すること、現地の人々の雇用に寄与すること、農場で働く人たちの子供の教育の援助をすること、の3本柱でした。以上が大きな目標でした。ルイボスティーをスタートしてから約30年日本は高度経済成長を経て、豊かさの価値観が大きく変化して、幸せとは何だろうと考える人が多くなってきました。


  • 数千年前に原住民が描いたロックペイント

  • 約60頭の馬がロックペイントまで誘導します

60歳を区切りに日本のために何か役立つ、そんな会社を経営したいものだと考えていました。
私の会社は4年前に息子たちに譲り、これからの人生もう一度一からスタートして、20代、30代では考えられなかった理想の企業作りにチャレンジしたいと考え、ルイボスティーを世界に発信する基になる研究をしてくださった、元熊本大学医学部の前田浩先生、京都府立医科大学の吉川敏一先生の協力のもとオーストリア、チロル州で湧き出るミネラルウォーター「アルプクエル」の販売会社をスタートしました。アルプクエルと縁のある方たちと、私は現在2ヶ月に一度、生涯教育の一環としてよりよい人間関係を作るための心構えについて、勉強会を開いております。実例で南アフリカのハーフィさんの話をよくいたします。ルイボスティーの販売が軌道に乗らず、悪戦苦闘しているときに、ルイボスティーの原点、ノーチェ博士のルーツを探り、それを出版する話が持ち上がり、著者、私、息子、通訳の4人で、現地を訪れ、取材活動をスタートした時の話です。その日は日曜日で誰もノーチェさんのことは教えてくれません。ルイボスボードの担当者に話してもなぜか話をそらします。よしこうなれば、すべてを運に任せ、ガソリンを車に満タンにして500キロのドライブを決行しようと、運がよければ何とかなるだろうと、ルイボス農場を探しに出かけました。未開地の岩肌だらけの砂利道、いけどもいけども民家はなく、もうガソリンも残り少なくなったとき一軒の農家が見えました。その前を100メートルほど通り過ぎましたが、何か気になり引き返して農家を尋ねてみました。ちょうどその日は家族全員がそろって食事の真最中でした。その農家こそ、ノーチェさんの孫娘ストラウス・ハーフィさんのルイボス農場だったのです。初対面にもかかわらず、大変親切にしていただいた想い出は、私の脳裏に刻み込まれ、その後南アフリカを訪問するたびに宿泊をお願いして、家族同様のお付き合いをして頂きました。私の子供、孫までがお世話になりハーフィさんからは此処は貴方のアフリカの家ですよ、と言われその後何十回もお世話になっています。このときの様子を心に残る、感動した体験として話してます。


  • 満天の星空の下、コテージが19棟あります

  • コテージ前で読書する勉強会メンバー若原君

息子たちに会社を譲ってからはハーフィ家に私は行かず、息子、孫が訪問しています。チロルの水を扱うようになってオーストリアには毎年行くようになりましたが、南アフリカには3年ほどご無沙汰していました。最後に南アフリカにお礼の挨拶とおもい、2009年8月13日~23日の10日間、相互啓発の勉強会のメンバー3人と一緒に最後の南アフリカ旅行に出かけました。ルイボス畑の満天の星を皆さんに見てもらい、皆さんに大きな感動を体験していただきました。ハーフィさんのコテージには3日間滞在しましたが、滞在最後の日に日本では現在、無農薬の野菜が重要視されているとお話すると、本物の無農薬ルイボスを見に行きましょうと言って、野生のルイボスが生えている場所に連れて行ってくれました。私がこれで南アフリカは最後と思ってまいりましたとお話しすると、ハーフィさんはノリ、後15年は来て下さいとのこと、その時閃きました。そうだチロルの湧き水と野生のルイボスそこに何か不思議なつながりを感じました。野生のルイボスはそんなに多くは獲れません。大切な人への贈り物として天から与えられた大自然の恵みを伝えていこう、限定30トン、これからの活動には最適の量です。素晴らしい人間関係を構築しながら、満点の星の下で人生を語り合う、このことこそが私の生涯学習の終局の夢なのです。


  • 京都安藤人形店のお雛様と記念撮影

  • 勉強会メンバーと通訳のシュゼットと朝食

毎年この場所で今生きていることの幸せを感じ生きるうえで必要な何かを教えてくれている気がします。
 
野生のルイボスにはそういった想いが詰まっています。
 
大切な人への贈り物として。


  • 現地の人たちと

  • 現地の学校へ訪問

  • 毎年100名程の小学校を訪問します

  • 無邪気な子供たちから大きな気づきを得る